こまりのそらあい

すきなことをつらつらと

永遠に続く毎日と紙一重

 

生とシは紙一重だということを痛感せざるを得ない 大豆田とわ子とかごめちゃん の話ではないけれど 


やっぱりシは本当に突然訪れるもので この日常が毎日永遠に続くのに嫌気がさす日が大半だけれど そんな中 この壮絶な絶望感が突きつけられるのもこれまた日常で それは地続きの日々の中に突然起こるものなんだ

1ヶ月前まで仕事のメールやりとりしていたのに 訃報が突然のことで信じられない

 

以前にも信じたくないようなことがあった 元気に出社して斜め後ろに座って仕事されてた方が 翌日発作で自宅で亡くなられたのだ それは唐突であまりの衝撃だった

奥さんもお通夜では気丈に振る舞われていたけど 終始心配なほど生気がなくなってしまって

無理もないし 悔やんでも悔やみ切れないよなあ 彼女の立場を思うとやり切れなかった 壮絶な絶望感に押しつぶされているのに 遺された以上これからの毎日の生活をしていかなければならないのだから 

そして周囲の人は心もない言葉をかけてくるかもしれないし 周りは待ってくれないし もちろん葬儀の準備だって諸々の手続きだって待ってくれない

 

ショックの大きいことを人が受け入れるにはストーリーが必要だというが シについてはストーリーがあってもなお この喪失感には受け入れるという言葉は使えないと思う

 

明日はスーパームーン皆既月食ですね 次に見られるのは12年後だとか 10年後も私の今の日常はどうなっているのか こんな日に考えるといいことがないことだけは分かっている 明日が晴れるのは救いだな